白浜の歴史
- 白浜の歴史
- 今から約1400年も昔に、白浜温泉を有名にしてくれた恩人が2人いました。斉明天皇と有間皇子です。日本書紀巻26に有名な有間皇子の悲劇と共に牟婁の温湯、紀の温湯の名で白浜温泉が記されています。
当時都は大和にあって、白浜まではかなりの道程ですが、馬と船をつかって大勢の官人と共に来られたのでしょう。
簡単に有間皇子の悲劇を紹介しますと、牟婁の湯に遊んだ有間皇子は、伯母にあたる斉明天皇に、牟婁の温湯は景色もよく、病によくきくとその入湯をすすめ、その留守の間に蘇我の赤兄に謀反のうたがいをもってとらえられ、天皇と中大兄皇子のいる白浜温泉に送られます。
そして牟婁の仮御所で中大兄皇子に裁かれ絞首されます。時に西暦658年11月10日のことです。
湯崎の行幸の芝は仮御所のあった所として昔から知られています。
天皇の行幸は斉明天皇の他にも、持統天皇、文武天皇が万葉集や続日本書紀に書かれています。
このように白浜温泉は都人にとっては、この上もない保養地として愛されていたと思われます。
- 今から約1400年も昔に、白浜温泉を有名にしてくれた恩人が2人いました。斉明天皇と有間皇子です。日本書紀巻26に有名な有間皇子の悲劇と共に牟婁の温湯、紀の温湯の名で白浜温泉が記されています。
- 白浜温泉の歴史−三大温泉街として発展白浜町の歴史
- 南紀白浜は、万葉のころから温泉地として知られ、多くの宮人が浴したといわれています。現在は、年間300万人を超える観光客の方が来泉される温泉地です。
戦後の混乱期を過ぎた昭和30年ごろより、ようやく国民の間に少しずつ余裕ができたのか、シーズンには連日満員の盛況となり、また、景気の好転とともに、阪神地方の会社の従業員や招待者の団体が連日のように来泉し、団体客を受け入れる旅館が次第に大型に変化していきました。
昭和35年には宿泊客が100万人を突破し、その後も急激な増加を見るにいたりました。
その後、昭和40年ごろよりマイカー時代に入り、白浜へマイカーで訪れる小グループ客に変化していきましたが、観光客の増加は順調に進んでいきました。
昭和43年に南紀白浜空港が開港、東京からの観光客の受け入れにも成功しました。
また、JR線の急速なスピードアップにより、大阪と白浜間が2時間で結ばれ、東京と熱海の関係に等しい、大阪と白浜という関西一の温泉観光地に発展していきました。
昭和53年には、観光客は350万人を突破し、別府、熱海と肩を並べる日本の三大温泉観光地に成長しました。
現在の白浜温泉は、ジェット化された南紀白浜空港と、京都、新大阪を直通で結ぶスーパーくろしお号が走り、御坊市まで南下した高速道路から約1時間で白浜に着く道路網を持つ、3つの交通機関を有し、レジャー施設では、アドベンチャーワールド、白浜エネルギーランド、ハマブランカ植物園、白浜海底観光船グラスボート、ゴルフ場など観光と保養、スポーツ施設を兼ね備えた健全な温泉街に成長しま
- 南紀白浜は、万葉のころから温泉地として知られ、多くの宮人が浴したといわれています。現在は、年間300万人を超える観光客の方が来泉される温泉地です。
- 白浜温泉の歴史−湯崎温泉の歴史白浜町の歴史
- 太古の昔から湯崎海岸に自然に湧き出して、白い煙を上げていた無色高温の湯崎温泉は、鉛が採れなくなった江戸時代初期から湯治場として発展しました。
交通は海路で、田辺市から舟で来るのが多かったようです。
温泉は、江戸時代から大正時代末まで海岸の岩場に自然湧出するのを浴槽をほって下に小石を敷いたもので、すべて共同の外湯でした。
のどかさや 磯を流るる 湯の香り
この川柳が湯治場湯崎をよく物語っています。
海の景色の美しさや開放的な明るい紀南の風土から湯崎温泉は江戸時代から文人や藩の武士、武家のお女中の来泉の多い、華やかな海の湯治場として発展しました。
明治20年に紀州航路が開かれて、大阪方面から汽船で直接お客が来られるようになると湯崎温泉は急速に発展しました。
外湯は共同管理で組合がつくられ、湯崎七湯は湯崎温泉の華でした。
湯崎温泉は、牟婁の湯、鉛山温泉、そして湯崎温泉と名前が変わっていきました。
- 太古の昔から湯崎海岸に自然に湧き出して、白い煙を上げていた無色高温の湯崎温泉は、鉛が採れなくなった江戸時代初期から湯治場として発展しました。
- 白浜温泉の歴史−白浜温泉の開発白浜町の歴史
- 湯崎温泉として、湯崎地区のみの温泉地であった当町が、大正末期から昭和初期にかけて、全町的に各地区に開発会社による開発が行われ、関西屈指の温泉街へと発展していきました。
開発のまず最初は、白浜地区の開発で、大正8年から始まり、大正12年には道路網も完成、白良浜を中心にした現在の白浜温泉街が生まれました。
湯崎温泉も湯崎山の手を別荘地として開発、東白浜地区では、昭和6年から昭和9年にかけて、東白浜温泉土地株式会社によって東白浜温泉として開発され、大浦地区は大浦温泉に、古賀浦地区は古賀浦温泉として、ほぼ同年代に開発されました。
昭和8年にJR白浜駅が開通すると町全体が温泉観光地となった当町は、阪神地方の観光客を迎え、保養、観光を兼ね備えた海の温泉街として発展していきました。
- 湯崎温泉として、湯崎地区のみの温泉地であった当町が、大正末期から昭和初期にかけて、全町的に各地区に開発会社による開発が行われ、関西屈指の温泉街へと発展していきました。
- 白浜温泉の歴史−椿温泉の歴史白浜町の歴史
- 椿温泉は、当町の南端にある温泉街で、傷ついた白さぎが湯につかって治したのを見て発見したと伝説にあります。
海岸の岩間から湧出していた冷泉で、その泉質はきわめて良質で、湯治には最適といわれています。
江戸時代は、紀州藩の武士や近郷の農家の湯治場でしたが、明治時代に入って少しずつ湯治客が増え、明治35年に初の宿屋(椿楼)ができて、椿温泉の型ができました。
大正初期に海岸道路ができ、大正15年にバス路線化、昭和10年JR椿駅ができて、地味で静かな保養の温泉として発展してきました。現在は、旅館、民宿など12軒が建ち並び、奥白浜温泉の名称でも親しまれている温泉地です。
- 椿温泉は、当町の南端にある温泉街で、傷ついた白さぎが湯につかって治したのを見て発見したと伝説にあります。
- 白浜町の歴史については白浜町http://www.town.shirahama.wakayama.jp/
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