熊野本宮 小栗と歩く中辺路
このページです。小栗物語と熊野一遍上人と熊野熊野の祈り

熊野信仰とそれに関わる人物に魅力を感じて、お話をしてくれる語り部さんがいます。

熊野の魅力を語る

熊野の逸話「小栗判官と照手姫」
餓鬼阿弥の姿となった小栗が復活したという、
熊野湯峰(ゆのみね)の「つぼ湯」。
今も日本最古と言われる湯峰温泉の中心にあり、
平成16年7月には「紀伊山地と高野熊野の参詣道」
の中の一つとして世界遺産に登録された歴史ある
温泉である。つぼ湯は大人2人が入れるほどの大きさで一日に7回も色を変えるといわれている。

目も見えない、言葉も話せない小栗は
この湯に49日入り、勇者の姿に戻ったあと
本宮大社にお参りし、無事照手姫と再会した。

この小栗判官蘇生の地で親子2代にわたり、
小栗の魅力にとりつかれている人がいる。
湯峰温泉

安井理夫さん

 おぐり               やすい   ただお
小栗の語り部  安井 理夫さん

民宿小栗屋 主人
熊野本宮語り部の会 会員
和歌山 ふるさと名人 紀の人賞受賞

生まれ育った地が小栗判官蘇生の地であり、
小栗判官物語の研究と伝承に尽力されている。
語り部をする時は、「熊野信仰」に焦点をさだめて話をするように
心がけているという。

湯峰で生まれ育ち、教職を引退された後、父親の始めた民宿を営んでいる。
もともとは父が小栗判官物語の研究に熱心な人で、民宿の屋号を「小栗屋」とするほどであった。
小栗の話は昔から湯峰でも有名だったが、誰も小栗判官という人物について詳しい事は知らなかった。
小栗にまつわる場所や、それが小栗とどのような関係なのか?
そんな好奇心から始まった父の小栗の研究は40年近く続き、安井さんがその研究をも引き継いだのだ。
そして、各地に伝わる小栗の物語を集めようと「をぐりフォーラム」を結成し、全国の小栗ゆかりの地と
情報交換を始めた。
小栗は常陸の国(現在の茨城県あたり)に住んでいたとされるから、その範囲は関東から熊野にわたる。

安井さんに小栗の魅力について語ってもらった。    安井さんの音声はこちらから

「小栗の魅力、それはまさにスケールの大きさです。それは次のように考えられるでしょう。
まず、庶民の文化であること。しかしそれは庶民だけではなく、男女や身分にも関係がない。
熊野は貴銭(きせん)、情不浄を問わない、誰にも開かれた場所、まさしく聖地であったのです。
そして、小栗物語は広い範囲の地域で残っており、基本的なところを残しそれぞれの
ストーリーとして発展したのでしょう。関東から熊野に至る地理的なスケールの大きさもあります。
また湯峰のつぼ湯で復活したというこの物語には、この世からあの世が描かれている。
この世とあの世の越えるスケールの物語。そして世俗の情感をうまくとらえており、
説教めいたところがないという事も多くの人々に受け入れられた理由のひとつでしょう。」(安井さんの語りより)


今でも入ることができるつぼ湯
小栗と熊野古道

小栗判官と照手姫の物語は史実としては、足利時代に実在した小栗助重がモデルとされている。しかし現在よく知られている話とは違う点もあり、地域によっても諸説さまざまである。

照手姫の愛と熊野湯峰で蘇るというストーリーはどれも同じであるが、説教となって日本全国に広がっていく際にそれぞれの時代や地域に応じて変化していったのだろう。その役目を果たしたのは、時宗の僧や熊野比丘尼(びくに)と言われ、熊野信仰は日本中を巻き込んでいく。

この物語は死から再生する物語である。
物語を聞いた人々は小栗の奇跡を求めて熊野にやってきたであろう。そこには身体的にも精神的にも弱者であった人々も多くいたと思われる。その人々が歩いた道はいつしか小栗街道と呼ばれるようになった。

熊野への道は苦難苦行であった。
しかし、誰でも受け入れてくれるという熊野の懐の深さに救いを求め、人々は遥かなる道のりを歩いてきた。それが熊野古道なのである。

「小栗」がライフワークという安井さん。
平成の語り部によって、小栗と熊野の物語はこれからも語り継がれていくであろう。
つぼ湯
湯峰温泉の源泉は無色透明だが、
つぼ湯は乳白色

  

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