熊野本宮 小栗と歩く中辺路
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小栗判官を知っていますか?

熊野の逸話「小栗判官と照手姫」は、説教説という中世の口承芸能によって広まったとされている。
これは人々の多く集まる街頭などで、仏の教えを広める為に語られた物語である。
説教とはもともとは仏典を読み解くことで、その教えを一般の人々に広く広めることが目的であった。
しかし難しいお経よりもその教えを物語にのせて話すほうが、民衆の心を動かす力は大きい。
しかもこの物語はラブストーリーでもある。そして死から生へと蘇る物語でもある。
誰もが、蘇りを求めていた。
信不信を問わず、浄不浄を嫌わず。身分や男女の違いも関係なく。
熊野の詣でることにより、人々は救われると信じられてきたのである。

「小栗判官と照手姫」の物語 

この物語は熊野をメインの舞台として、浄瑠璃、歌舞伎など、さまざまなジャンルを通して
何百年もの間伝承され続けている為、諸説様々であって内容もそれぞれである。
ここでは江戸時代初期の画家、岩佐又兵衛(いわさ またべえ)による
「小栗判官絵巻」を参考にしている内容を紹介しよう。

(以下 JTB キャンブックス「熊野古道を歩く」より引用)


二人の出会いと死

 京の公卿二一条兼家は、名門の家ながら跡継ぎに恵まれなかった。そこで
妻を鞍馬寺に参詣させ、男児を授かった。子供は長じて「小栗」と名付けられた。
成人した小栗に、母は妻を要らせようとした。しかし小栗は、一向に気に入った
女と出会えない。さすがに小栗白身も困り果て、定まった妻が授かるようにと
鞍馬寺に祈願に出かけた。その道中、深泥ケ池にすむ大蛇が小栗を見初め、
若く美しい姫に変身して誘惑した。小栗はこの大蛇と関係を持ってしまう。それ
は都中の噂になり、父・兼家は小栗を勘当し、常陸の国へ追いやった。

 常陸の国で小栗はある日、世にも稀な美女・照手姫のことを聞かされる。
小栗はまだ見ぬ照手に恋い焦がれ、恋文を送る。照手はこれに戸惑いながら
も応じ、返事を書いた。小栗は嬉しさに矢も楯もたまらず、屈強な家来を従えて、
照手の館に押し掛けた。そして二人は、運命の実りを結んだ。

 しかし照手の父・横山は、自分に無断で結婚したことに腹を立てた。横山
は、小栗を人喰い馬に喰い殺させようとしたが、小栗は馬を思い通りに操り、
難なく乗りこなしてしまった。
 次に横山は酒に毒を盛ることを計画し、小栗を宴に招待する。宴に参加し
た小栗と家来たちは、あえなく毒酒を飲まされて次々に絶命してしまった。
 横山は家来たちを火葬にし、小栗だけは土葬にして葬った。そして
「我が娘だけをそのまま生かしておいては、都の聞こえが悪い」と、実の娘の
照手を淵に沈めてしまうよう息子たちに命じる。息子らは気が告め、照手を
乗せた牢輿の沈め石を切り離し、そのまま川に流し去った。

 照手の牢輿は相模国に流れ着き、漁お古夫の長に助けられた。しかし長の妻が
これに嫉妬し、照手を人買い商人に売り飛ばす。照手はその美しさから、
次々に値を上げて転売され、辿り着いた先は美濃国青墓の遊女宿だった。
辛苦に耐える照手は念仏小萩とよばれ、貞操を守るため、遊女になることを拒んだ
照手は「常陸小萩」ともよばれながら、水仕女として苛酷な労働に耐える日々を過していた。

一方小栗と家来たちは、閻魔大王から判決を受けていた。大王は家来たちの懇願を受け、
「この者を藤沢の上人に渡すので、熊野本宮の湯の峰に入れて本復させよ」と記した札を
小栗にかけ裟婆へ戻した。この藤沢の上人とは、一遍が開いた時宗の僧のことである。

熊野への旅

目も見えず口もきけない餓鬼の姿で塚から這い出た小栗を、藤沢の上人が
見つけた。閻魔大王からの依頼を読んだ上人は、小栗の髪を剃り「餓鬼阿弥」
と名付けた。そして「この者を一引きすれば干僧供養、二引きすれば万僧供
養」と胸札に書き加えて土車に乗せ、東海道を熊野へ向かわせた。
 餓鬼阿弥(がきあみ)は、箱根、富士、掛川、名古屋へと人々に引かれ、
照手のいる美濃国にやってきた。引き手がつかず捨てられていた土車を発見した照手は
「こんな姿でも夫の小栗が生きていてくれたなら」と思い、照手は小栗の供養
に土車を引きたいと、わずかな休暇をもらう。
それが小栗だとは気づかないまま、大津まで引いた照手は「本復されたら美濃国
青墓の宿の常陸小萩を訪ねて下さい」と餓鬼阿弥の胸札に書き添えて帰っていった。

餓鬼阿弥はさらに、京、堺、紀州と引かれて大峰山へ進み、修験に背負われて
山を嘩え、四百四十四日日「熊野本宮の湯の峰に辿り着いた。
湯治すること四十九日、餓鬼阿弥は元の雄々しい小栗の姿に蘇ったのである。
夢から覚めた思いで、小栗は熊野三山に詣で、山中で熊野権現から杖を授かる。

 都に戻った小栗は、帝から美濃国を拝領し国守となった。そして照手の働く遊女宿に上がる。
小栗は「常陸小萩」の酌を希望する。国守を小栗とは知らない照手はが酌にでると、
小栗が照手を見つめ自分の身の上を語りだした。すると照手は黙ってむせぴ泣き出した。
こうして二人は再会し、幸せになったという。

熊野古道と小栗の物語
 
湯峰には、小栗が蘇生したとされているつぼ湯、餓鬼阿弥を乗せた土車を埋めた「車塚」、
小栗が復活後、力を試したという「力石」などが残っている。
小栗が髪を結わえていたわらを捨てた場所には、籾を蒔かなくても稲穂が実るという
「蒔かずの稲」など、物語がいかに深く熊野詣での人々に親しまれており、熊野ではどんなに
傷ついた肉体も魂も再生しうることを語っている。

JTB キャンブックス「熊野古道を歩く」より引用



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