いにしえより受け継がれて750年・・・・伝統の食文化が湯浅町に生きている・・・
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★湯浅しょうゆと湯浅金山寺味噌
湯浅町では、日本の味を代表すると云ってよい、醤油、金山寺味噌の製法を750年にわたって、伝え続けています。
醤油っていつ頃出来たの?金山寺味噌って何?このページでは、湯浅町の伝統の味、湯浅しょうゆと金山寺味噌についてご説明いたします。 

醤油の仕込み作業(鎌倉時代より受け継がれた伝統の技術)


★金山寺味噌の歴史
  
醤油を語るには、まず金山寺味味噌から語らねばなりません。

◎金山寺味噌ってどんな食べ物?
 醤油がどんなモノかをご存じない方は、おられないと思いますが、金山寺味噌は、いわゆる舐め味噌の一種です。つまり調味料として使用するのではなく、ご飯に載せて、お酒の肴に、おかずとして食べる味噌です。元々はお坊さんが考え出した夏野菜を冬に食べる為の保存食で、白瓜、丸茄子、シソ、生姜等の入った栄養満点風味満点のお味噌です。
樽一杯の金山寺味噌
◎その歴史は鎌倉時代までさかのぼる!
 先程も、申し上げました通り、金山寺味噌は、お坊さんが考え出した、夏野菜を冬に食べるための保存食が起源です。その歴史をひもといてみますと、金山寺味噌の始まりは、遙かに鎌倉時代までさかのぼります。
 建長元年(1249年)、僧、覚心(法燈国師)が中国(宋)に渡り修行のかたわら径山寺味噌の製法を習って、同六年帰国し、のち紀伊由良(現在の由良町)の興国寺を建立し、在山すること四十余年、その間が径山寺味噌の始源であると伝えられています。その後、諸説がございますが、交通の便も良く、また水質が味噌醤油の製造に適していた湯浅町に伝えられ、以来、750年にわたり金山寺味噌は変わらぬ手作りの加工法を今に伝えております。

金山寺味噌は、お坊さんが
中国より伝えた保存食です

◎もう少し、金山寺味噌について詳しく知りたい方は→→金山寺味噌豆知識

★湯浅しょうゆ起源と歴史
◎醤油と金山寺味噌のオモシロイ関係?

 醤油と金山寺味噌、どの様な関係があるか、皆様はピンとこないかもしれません。実は醤油とは、味噌から生まれた物なのです。つまり、親子の様な関係?です。

◎湯浅しょうゆの起源

 湯浅町に伝わった当時の金山寺味噌は、水分が多くびっしょりとしたものだったそうです。醤油はこの味噌製造の際、樽底沈殿した液汁、桶の上澄みに出てきた液汁等をすくい取って舐めてみるとこれが美味しかった。それでは、これを調味料として煮炊きに使用すればさらに美味しいということで、その製法が発達してきたのが、湯浅醤油の起源であると云われています。
製造中の金山寺味噌の樽の上に溜まった液汁・・・ これが、醤油の起源です!!

◎湯浅しょうゆの発達

 
いつ頃、醤油というものが生まれたのかは、定かではありませんが、室町時代頃から湯浅醤油として商品化されていたようです。江戸時代には、徳川御三家紀州藩の保護を受け湯浅町の中心産業として発展してきました。文化・文政時代には1000戸しかなかった湯浅町に92軒の醤油屋があったと云われています。その間も関東銚子をはじめ日本各地にその製法を伝えました。
 今では、町内で数軒の醸造業者残るのみとなっていますが、伝統的な手作業による製造方法は、脈々と受け継がれています。
 工場で大量生産された醤油ではなく、厳選された素材を丁寧に手作りした湯浅醤油は、刺身に、冷や奴に・・・・etc、かけ醤油として食べると最高です。

醤油の仕込み桶の風景
伝統の製法で造られています


◎湯浅醤油の全てがわかる資料館

 
湯浅町内には醤油の歴史などが全てわかる資料館・民営(TEL0737−62−2035:要予約)が、湯浅町の伝統的な町並みの中にございます。日本のおふくろの味を育んで750年。ルーツを一度訪ねてみてはいかがでしょう。
JR湯浅駅より、徒歩10分〜12分

角長職人蔵・民営

醤油資料館・民営


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