弘法大師が母公(玉依御前)と対面したところとも又槙尾明神(槙尾山の弁財天)と対面したところと言われています。

『大師がある日、和泉の槙尾山に参詣しようとして九度山まで来たが」紀ノ川の洪水で渡ることが出来ずこの石のところで休んでいると弁財天が現れ「和泉まで参詣するのが大儀であるからこの九度山の地に移してよかろう」とのお告げにより弁財天を槙尾山(九度山)に祀ることとなったという伝承』