今も町の人々から親しまれている「米金の金時像」は南紀荘平の作で彼が大正のはじめころ東山に窯を築いて焼き上げたものです。

高さ約2mあまりこんな大きな陶像は全国的にも珍しいといわれています。

荘平は天才肌の奇人で独身、窯場の小屋に住み入り口に「わが家をきぎすの窯とそしれども、月も差し込み花も散りこむ」と書いた札をぶらさげてあったそうです。

大正7年にはくぬぎ山を開いて新しい窯場を作ったが翌年那智山の不老軒から招かれ銀竜焼きを創設し大正9年44才で客死しました。

彼の作品は大小さまざまの仏像や動物などの立体ものをはじめ茶器・香ろう・皿・壺などのうつわ類も九度山の土味を生かした彼独特の野趣のあふれたものであったから九度山焼きまたは荘平焼きと呼ばれ珍重されました。