明恵上人

鎌倉時代初期に活躍した高僧で、現在の金屋町歓喜寺で生まれました。
明恵は「夢記」という夢の記録者であり、同時に華厳宗中興の祖としての思想家であり、さらに「月の歌人」と呼ばれた歌人でもありました。

1173年 和歌山県有田郡金屋町大字歓喜寺字中越で生まれる
父は平重国、母は湯浅権守宗重の娘
1180年 1月母死す
9月父重国、上総にて戦死
1182年 京都・高雄山に上がり、叔父の上覚上人やその師文覚上人の弟子になる
1189年 出家
高雄と故郷の紀伊を往復し、修行を重ねる
1191年 〈仏眼仏母像〉を本尊として、常に仏眼法を修す夢記を書き始める
1196年 白上にて〈仏眼仏母像〉を前に右耳を切り、文殊菩薩の示現にあずかる
1206年 後鳥羽上皇により京都・栂尾別所を華厳宗興隆のために与えられ、道場として高山寺を開いた
1212年 法然批判の書「摧邪輪」を著す
1227年 「光明真言加持土沙義」を著す
1232年 60歳で没する

◆『阿瑠辺幾夜宇和』(あるべきようわ)
 日常の簡単にして深奥なる教え

◆茶の祖
 栄西禅師から贈られた茶の実を植え、高山寺から全国に茶が普及したといわれている。その由緒から毎年11月8日には、宇治の茶の製造業者が新茶を高山寺の明恵上人廟前に献上する

◆『御成敗式目』
 承久の乱後、北条泰時が明恵上人を師と仰ぎ、教えを請い、それが道理が法を支える武家の成文法のもとになった「御成敗式目」の基になった。

◆『夢記』
 19歳から40年間、見た夢を正確に書きつづけ、世界で唯一の夢の日記である

◆月の歌人
 月をこよなく愛し、月を歌った歌が多いため月の歌人とも言われた
 「ふるさとの やどにはひとり 月やすむ
           思うもさびし 秋の夜のそら」

 「あかあかや あかあかあかや あかあかや
           あかあかあかや あかあかや月」

 「雲いでて 我にともなう 冬の月
           風やみにしむ 雪やつめたき」